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Kelton の誕生

1950年代初頭、それまでフランス空軍のパイロット向けに信頼性の高い腕時計を作り納めていたVIXAブランドを率いていたステファン・ブーリエが、アメリカの国民的時計ブランド TIMEXの経営陣に事業拡大を持ち掛けます。

 

当時アメリカで勢いを増しスコットランドにも工場を保有していたTIMEXは、ヨーロッパ市場への参入、さらなる拡大を目論んでいたものの、フランスでは大戦後の反米主義もあり苦心していました。

ステファン・ブーリエの優れたビジネスセンスもあり、無事合意に達した両社は、1955年にKeltonを誕生させます。

※写真右端がステファン・ブーリエ(1962年撮影)

 

ブランド名の由来

TIMEXの創業地、アメリカ・コネチカット州ウォータベリーを直談判のため訪れたステファン・ブーリエ。自動車産業で栄えたデトロイトがモータウンとして呼ばれたのと同じく、真鍮加工産業で栄えるウォーターベリーはブラス・シティとして全米に知られていました。

滞在時、同地のルネッサンス様式の瀟洒なホテル、Elton Hotel (エルトン・ホテル) を大変気に入った彼は、ブランド名をKelton (ケルトン)とすることにしました。

このネーミングは、知名度がある一方で反米感情の残っていたフランス市場において、TIMEXを想起させることなく市民権を得ていくことになります。

※Elton Hotelはアメリカの国家歴史登録財に指定される貴重な建物として現存し、過去には著名財界人をはじめ、ジョン・F・ケネディが大統領選の演説を行うなど親しまれました。

 

 

Keltonの成長

フランス時計製造の心臓部、といわれるブザンソンは古代ローマ時代からある歴史ある街で、隣国スイスの時計産業の発展にも寄与してきました。

Keltonは、当初TIMEXのスコットランド工場などからパーツ供給を受け3つの工房で時計を組み立てていましたが、1962年には生産拡大のため同地に生産工場を建設します。

さらに1970年までに新たに7つの生産拠点を新設、約3,000人の従業を抱える一大企業へと成長します。1972年には当時のフランス人口のおおよそ8人に1本に相当する400万本を販売するまでに成長を遂げます。

 

※1960~70年代と思しきKeltonの広告

 

なぜKeltonは消えた

1969年に日本の時計メーカー、セイコーがクォーツ時計を開発します。その後特許が公開され量産されるようになると世界的に機械式時計の需要は激減、スイスやヨーロッパの多くのブランドが倒産や休眠などに陥る事態となりました。

Keltonも例外ではなく、その影響を受け1987年に操業を停止することとなります。

 

Keltonのカムバック

クォーツ技術が主流となる一方、機械式時計も再評価され共存され始めるようになると、Kelton復活の声が上がります。

ブザンソンはフランスにおける主要時計産業の都市として引き続き機能し、Keltonブランドは2016年に共同事業ではなくフランス企業As Conseil Group社が新たなオーナーとしてカムバックを果たします。

2018年には同国サッカーチームがFIFA ワールドカップで優勝、Keltonは公式記念モデルを手掛け、2021年にはブランドロゴを一新するなどフランスのウォッチブランドの伝統を現在に今に引き継いでいます。

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